奈良といえば東大寺。なかでも気になる大仏さまの歴史とは?

2021年11月13日土曜日

観光

奈良県の東大寺と言えば、華厳宗の大本山として知られている由緒あるお寺ですよね。聖武天皇が皇太子を供養するために建立したとされている金鐘寺。その金鐘寺こそが東大寺の元となっています。

金鐘寺は後に大和国分寺と改められ、さらに時を経て私達がよく知る東大寺となりました。奈良に旅行へ行くならばぜひ押さえておきたい東大寺ですが、東大寺の見所はやはり大仏殿です。

東大寺の大仏の歴史

東大寺の大仏は、745年に聖武天皇が命じた事により制作が始まりました。完成して開眼供養会が行われたのは7年後の、752年になります。

正式名称を「東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)」といいますが、こちらの名称が使われることはあまりありません。言われてもなかなかピンとこないでしょう。一般的には、「奈良の大仏」と言う名称で知られています。

建造にかかる費用と人員

東大寺盧舎那仏像の全長は14.98メートル。約15メートルもある、巨大な像になります。これだけ大きな大仏像を建造するのには、当然多くの費用と人員を要しました。

建造にかかった費用は、現在の価格にして約4657億円にもなるといわれています。また、工事には260万人もの人が携わりました。

これ等の数字を見るだけでも、東大寺盧舎那仏像の歴史的価値や、当時の聖武天皇の並々ならぬ想いを感じることができます。

東大寺盧舎那仏像が作られた背景

今でこそ観光地スポットとして知られている東大寺や東大寺盧舎那仏像ですが、そもそも聖武天皇は何故このような巨大な大仏像を制作したのでしょうか。その理由は、当時の時代背景にあります。

聖武天皇が統治していた時代には、様々な問題がありました。疫病、作物の不作、権力争い等々。そのような時代にあって、聖武天皇は仏教の経典である華厳教を政治の軸としました。

華厳教には、毘廬舎那(びるしゃな)という、中心となる仏があります。毘廬舎那の身長は、なんと50メートル。民衆の為に仏像を造ろうにも、50メートルと言う巨大な仏像は聖武天皇にも流石に造れませんでした。

そこで考えられたのが、座っている姿の仏像の制作です。奈良の大仏が座った姿で造られたのには、そのようなわけがあるのです。

繰り返される修繕

しかし残念ながら、東大寺盧舎那仏像は造られた当時の姿そのままというわけではありません。東大寺盧舎那仏像は様々な理由から何度も燃え、壊れてしまった為、修理が繰り返されました。

そのため、現在でも残っている当時のパーツはひざ頭の一部と台座だけです。世の平和と平穏を願って造られた大仏像なだけに、当時のまま姿で残っていないのが残念ですが、奈良を訪れた際、ぜひ一度は見ておきたいスポットだといえるでしょう。

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